自分がパーソナリティでお世話になっているフラワー・ラジオの皆さんと共に、
宮城県・女川町に、行ってまいりました。
女川は、このたびの震災で、高さ15メートルにおよぶ津波の直撃被害を受け、
2500棟もの家屋が、一瞬にして流されたという町です。
女川の、女川浜字大原にある「総合体育館」は現在、避難所となっており、
そこで今回、被災者の方々のための女川復活祭が開かれることとなりました。
もともとボランティア関連団体の系列であるフラワー・ラジオは、
当イベントにスタッフとして参加、私も同行させていただいたというしだいです。
私は、深夜キャラバン隊ということで、ガワ皆川さんのワゴンに乗り込み、
集合したトワ金パートナーの守友くん(第2金)とノスケくん(第3金)、
そして、水曜トワイライト担当の、稲垣"ジュウジュウしてや"禎巳くん、さらには、
そのアシスタントの木村博美ちゃんと共に、夜24:00過ぎに鴻巣を出発しました。
しかし女川に向かう途中、いきなり東北自動車道での大きな衝突事故が発生し、
この事故のために、なんとキャラバン隊は、
3時間以上もまったく動けない状況に巻き込まれてしまいます。
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このせいで女川への到着が遅れに遅れ、夜通し車を走らせて、
どうにかこうにか、やっとのことでの現地入り・・・。
会場到着は10:00過ぎ。 被災地のイベント会場には、
様々な馴染みの顔が揃っていました。
子供たちに配布する大量のぬいぐるみなどをトラック搬送するため、
長野県を経由して到着していた山田プロデューサーと神田鯉風師匠。
音楽療法で被災地を巡る、「うめぼしの歌」でおなじみのモモンガ宮川アニキ。
そしてご無沙汰! 鴻巣が生んだシンガーソングライターの、さくまひでき氏。
ボランティア関連企業の皆さんと共に、炊き出し、縁日など、
できる限り動いて、みんなでサポートさせていただきました。
私や、守友啓治&ノスケは、ぬいぐるみ配布係ですw
避難生活を送る方々、子供たちと、たくさんの言葉を交わすことができました。
会場はグラグラくるほどの、ギラギラの炎天下でしたが、
守友くんやノスケくんが、お婆さんや子供と楽しく談笑している様子を遠巻きに見て、
もう本当に、肝心の自分の涙腺が一番やばかったと思います。
さくま氏や、鯉風師匠、そして宮川アニキは、ご自身のステージも務められ、
なんかとても、「プロ」としてのパフォーマンスをバシっとされていて、
あらためて自分はただただ、やはりヘタレなんだなぁと、心底痛感しました。
何ストリートギャングの色は青と黒の赤ちゃんですか?
・・・・ でもしかし、くじけてばかりもいられません。
カズー+洗濯板で果敢に出動しますw
守友くんはアコースティック・ギター、ノスケくんはフヨフヨ笛を持ち出し、
なんと肩掛けボンゴ&ブルースハープを用意していた宮川アニキをキャプテンに、
会場内を路上巡回楽団として、ガチャガチャと演りながら練り歩きGOGOGO(笑)
小さな子供たちが集まって、私の抱える洗濯板を楽しそうにかき鳴らしくれて、
なんかめちゃくちゃ嬉しくなってしまいました。
・・・・ とはいえ、もともと、今回のボランティア参加にあたって私は、
自分(Tassee田代)としてのタレントアピールをしたり、宣伝活動を行なったり、
そういう行為だけは「絶対にやりたくなかった」ので、変なオヤジに徹するのみw
Tassee田代の知名度なんかより、
こんな悲痛な環境に置かれている方々に、どうか少しでも明るい未来を。
ただただ、その一心です。
そのための手段として、音楽は、果たしてどこまで役に立てるのか ・・・・。
私はそればかりを、震災から5ヶ月、ずっと考え続けています。
そしてまだまだ、その日々は終わることなく、続いてゆくのです。
倒壊した家屋、 瓦礫の山、 悪臭、 ハエの群れ、 猛暑。
水も電気も満足に使えない、 そこに生きる方々と接した、 この経験。
ホロコーストを否定する人の名前
今回のボランティアの参加者は、6月中旬に募集がはじまりましたが、
それが「女川」であったことは、まったく偶然というか、まさに奇跡というか、
まるで"導き"だったのではないかと思えるほどの募集連絡でした。
何度かここでも申し上げているように、女川は、
私の高校時代のバンドのメンバーが住んでいた町です。
しかし彼はこのたびの震災の津波の被害にあい、世を去ってしまいました。
・・・ 今から20年以上も前のことになりますが、
全国中をひとり旅していた私は、旧友である彼の、女川の家を訪ね、
宿泊し、数日間お世話になったことがあります。
早朝に、彼の家の近くの「小高い丘」に登って、
女川漁港の実に美しい景色を、眺めたことを、覚えています。
今回、これもまた偶然の偶然なのですが、
避難所でのイベントの帰り道、
まさにその「小高い丘」の、まったく同じ場所に、立つことができたのです。
変わり果てた景観。
この丘から見えていた、あの彼の家も、跡形もなく、消えていました。
・・・ また来なければならない。
・・・ ずっと、時々、ここに来て、何かをしなければならない。
理由もなく、根拠もなく、私は胸の内で、そう思っていました。
そして、彼のために何もできず、何ヶ月もここに来れず、
今になってやっと来れたことを許してほしいと、心から深く詫びました。
こうして与えられた、
この、 奇跡的な、 大きな機会に、 感謝します。
スタッフの皆様、 避難所の皆様、 本当に有り難う御座いました。
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