今回の危機の直接の引き金となった短期資本流入について,発展途上国の経済発展の観点から様々な議論が展開されるようになっている。ここで問題になるのは,短期資本が有する流動的な性格であり,東アジア諸国でみられたように,経済的ファンダメンタルズといった合理的な判断よりはむしろ投資家の思惑一や予測といった要素に左右されることが,発展途上国の金融市場の不安定化,ひいては経済全体に悪影響を与えるのではないかとの議論が展開されている。
この点についで,早くからアメリカの経済学者ジェームス・トービンは為替などの投機抑制のために短期的な国際金融取引について全世界的規模で低率の課税を行うという「トービン・タックス」を提唱している。しかし,このような全世界的規模の課税を行うのは技術的に困難ではないかとの有力な反論も提示されている。
さらに,民間資本流入と経済発展の在り方について関連づけた議論がアジア通貨・金融危機以降展開されている。
まず,資本移動の流れの変化がもたらす不安定化要因に対応するために,金融システムの強化を図りつつ,基本的な資本市場自由化の流れは今後も維持すべきとする見解がある。例えば,アメリカのサマーズ財務副長官は,発展途上国への世界的な資金流入は,技術進歩や産業構造の高度化を促進することで,これら諸国の成長に寄与してきており,資本市場の力強い発展は力強い成長につながるとしたうえで,現下の課題は,世界の資本市場が,経済にとってチャンスを提供する場として一層その効率を高めるとともに,世界的な資本の動きが不安定さを引き起こすという可能性をできる限り減らしてゆくことだとしている。このためには,監視・監督の体制作りや,各金融機関におけるリスク評価・管理の強化,破産法などの法体系整備を必要としている。
世界銀行チーフ・エコノミストのジョセフ・スティグリッツも,今回の危機の教訓として,金融のグローバル化が進むなかでは透明性が高く,堅実で,適切な規制による金融システムの必要性がますます明確になったとしている。しかし,スティグリッツは,資本移動の流れが発展途上国などの経済成長にもたらす悪影響を重視し,選択的な資本市場自由化を考慮すべきとする議論を展開している。スティグリッツは,発展途上国における資本市場の自由化については,完全な資本市場自由化が投資や経済成長に貢献するという根拠は薄く,短期資本が流動的な資金であることはたびたび指摘されており,むしろ,短期資本流入が増えれば,経済がますます不安定になって成長に悪影響を与える可能性があるとしている。特に,短期の資本流入が不動産投機の� �うな収益の確実性が疑わしいセクターに振り向けられた時にはなおさら問題が大きい。このため,情勢の変化により変動が大きい短期資本流入を抑制し,直接投資のような長期資本流入を促進するような政策が必要であるとしている。このため,まず直接投資に対する規制緩和を進めるとともに,短期資本の流入抑制のためには,例えば,金融機関に対してリスク管理を強化させることで,安直な短期資本借入による貸出の増加を防止するなどの政策が考えられるとしている。
発展途上国等において実際に行われている政策をみると,その代表例として,南米のチリでは外貨建て対外借入れ,預金や有価証券,動産,不動産などの投資,その他財・サービスの生産と無関係な金融投機を目的とする出資金といった形態でチリに持ち込まれた資金に対して,その資金の一定割合をドル建てで1年間中央銀行に無利子で強制預託させるなどの手段で,短期資本流入をコスト高なものにして投機的資本の流入を押さえている(ENCAJE制度)が゛ある(ただし現在は実質上運用を停止)。このような資本流入への制限はあるものの,チリは直接投資などの長期資本に対しては門戸を開けており,流入する資本の構成は安定したものとなっでいる。90年から96年にかけて,チノの長期債務は約57億ドル増加しているが,短期債務は約36億ドルの増加となって いる。
このような短期資本の流入規制は突発的な危機の発生を防止する上では有効と考えられる。しかし,企業が調達する資本の期間構造を人為的に規制するには,それなりのコストが必要である。また,資本流入を強化すれば,このような規制を嫌って,外国人投資家による資本引上げの加速や国内投資家による資本逃避が発生したりする可能性がある。このような事態になれば,直接投資などの長期資本流入についても悪影響を与える可能性もある。また,規制に対して,いわゆる抜け穴探しが横行すれば,規制が更に強化・複雑化され,一層そのコストは高まることになる。このような規制のコスト以外に,単に短期資本流入を抑制すれば,資本流入の変動による自国経済の不安定化といった事態の解決につながるということではなく,アジア通貨・金融危機 の背景でも検討したように,危機をもたらす原因は,財政収支や経常収支といったマクロ経済の問題点や,民間部P旧こおける投資や融資を行う際のリスク・マネジメントの在り方といった当該国の経済システムの問題点が基層にあることに留意すべきである。資本流入の安易な規制に事態の解決を求めれば,本来着手すべきこのような問題の解決を遅らせることになりかねない。
人は自由の女神のためのモデルを務めた
さらには,資金移動のグローバル化の}進展の下では1国だけでの努力には限界もあり,国際的な観点からの対応も重要になる。従来まではIMFや世界銀行などの国際金融機関が中心となって取組を進めてきた。しかし,アジア通貨・金融危機の教訓として,これまで域内で構築してきた貿易・投資の経済的相互依存関係のネットワークが通貨危機を域内諸国に伝播させる要因にもなっており,通貨・金融危機が一国で発生すれば,その影響はまず,その周辺諸国に及ぶ可能性が極めて高いことから,IMFのような世界的な取組に加えて,地域レベルでの協力関係にも焦点が当てられてきている。東アジア地域においては,97年11月に「金融・通貨の安定に向けたアジア地域協力,強化のためのフレームワーク(マニラ・フレームワーク)」が合意され,地域における� �クロ経済政策などに関する緊密な意見交換や各国の金融セクター強化のための技術協力などの措置を行うこととした。また,中南米地域においても,98年夏以降の為替・金融市場の動揺を受けて,IMFを交えた政策協議を実施している。
参考:
・US Treasury News(98年5月6日,5月11日)
・Joseph Stiglitz,"Sound Finance and Sustainable Development in Asia
(WorldBank記者発表,98年3月12日)
今日の世界経済においては,巨額の投資資金が世界を瞬時に移動し,これが世界経済の不安定化をもたらし,アジア通貨・金融危機が,他地域の新興市場のみならず,先進国の資本市場まで世界的な影響を持つに至っている。危機への対応については,IMFが中心となって行われてきたが,その対応の在り方の評価については,既に検討した。
IMF自身も今回のアジア通貨・金融危機以降の教訓を受けて,今後,今回のような危機再発の未然防止の対応策について,加盟国の経済関係デ一タの透明性確保と提供範囲の拡大,IMFの監視機能の強化,国内金融システムの健全性強化への支援などに取り組んでいる。
しかし,これらの施策だけでは十分でなく,世界規模での資本移動の急速な拡大という世界経済の構造変化のなかで,IMFや世界銀行などの国際金融機関自体についても改革が必要ではないかとの議論が世界的に提起されている。
この点について,イギリスのブレア首相やフランスのシラク大統領といったG7諸国の首脳からIMFの機構改革や国際金融システムの透明性強化などの改革策が相次いで提起され,98年10月3日に開催されたG7蔵相・中央銀行総裁会議でも主要課題のひとつとして議論された。ここでは,IMF改革の重要性に合意するとともに,すべてのタイプの金融機関の透明性,情報公開の向上や,先進国におけるリスク管理や健全性基準に焦点を当てた規制の向上を図りながら,健全な資本移動を促進すること等の国際金融システムの強化策についてG7諸国の協力等を進めることとなった。
また,これに引き続き開催されたIMF・世界銀行年次総会においては,アメリカからは新興国のための緊急融資制度の新設が提案され,またIMFの意思決定機構の改革など,各種のIMFの強化策の提案が行われた。IMFのカムドシュ専務理事は,国際金融システムの改革については,新たな規制を実施するといった手段に頼るのではなく,①透明性,②健全な金融システム,③民間部門の参加,④適切な順序と健全なマクロ経済バランスのもとでの資本市場自由化の推進,⑤国際的に受容される,望ましい金融システム運営(goodpractice)の在り方に関する基準と規範の5項目を基本的な原則として,これら原則の具体化に取り組むことで進めるべきとした。
国際的な資本移動を通じてこのようにある地域の通貨・金融市場の動揺が世界全体にまで急速に影響を与えうるような世界経済システムの現状のなかで,IMFの「最後の貸出手」機能の在り方が問われており,G7でも指摘されたように,世界経済の変化にIMFの在り方を適合させてゆく努力は今後とも必要になろう。
3 不安定化した世界経済をとりまくリスクと政策対応
以上でみたようにアジア通貨・金融危機は貿易,資本移動などを通じ世界経済に大きな影響を与えている。こうしたなかで,98年8月にはロシアでルーブル切下げが起こり,また,その影響もあってアメリカで株価が急落した。その後,一部の中南米諸国でも為替・金融市場での混乱が生じており,世界経済は不安定化している。今日の不安定化した世界経済には以下のような様々なリスクが存在しており,全体としてデフレ圧力が高まりつつある。
① アメリカの株価暴落
現在世界経済全体のいわば防波堤としての役割を担っているのはアメリカ経済である。アメリカではこれまで株高の資産効果が個人消費拡大を支える要因として重要な役割を演じてきたとみられている。ダウ平均株価は7月末の9,300ドルを超える水準から10月中旬には8,000ドル台前半まで値下がりしている。この水準でも企業収益や金利などで説明できる株価水準からみると相当上回っているとの見方もある。株価が40%下落すれば,逆資産効果によって消費は11/2%ポイント程度低下するものと推計される。さらに,設備投資などにも悪影響が及び,それらの乗数効果,心理面での影響などを含めると,アメリカの経済全体に大きなマイナスの影響を与え,さらには貿易,資本移動を通じて他地域の実体経済,通貨,株価などに深刻な影響を与えるものと考 えられる。
② 新興国経済における連鎖的通貨安・株安と世界的信用収縮
私は、親権の場合、裁判所に何を着るべき
アジア通貨・金融危機に端を発した中南米や中・東ヨーロッパ,CIS諸国などのいわゆる新興国市場の不透明感の広がりにより,それまで新興国市場に流入していた資金がアメリカの債券市場などの先進国市場に流出するという「資金の質への逃避」現象を生んだ。特に,98年8月のロシア・ルーブル切下げ以降は,中南米をはじめとする多くの新興国経済において通貨・株式市場の一層の不安定化が生じている。これが今後どのような広がり,深まりをみせるが予断を許さない。
こうした不安定化の生じている諸国は,財政赤字削減,経常収支赤字削減などのマクロ経済安定化策と経済構造調整により,マクロ経済不均衡の是正と投資家の信認の獲得に努めるべきである。今後,新興国市場からの資本引上げが更に加速するような場合には,それにより世界的な信用収縮が生じる危険性もある。
③ 先進国金融機関の経営不安と金融システムの不安定化
新興国経済の混乱はアメリカをはじめとする先進国経済に様々な影響を与えるが,最近のヘッジ・ファンドの経営不安などに見られるように,先進国の金融機関のバランスシートに悪影響を与え,ひいては金融システム全体を不安定化させる危険性もあることが明らかになってきている。先進国の金融システムの不安定化は実体経済に重大な影響を与えることはいうまでもない。特にそれがアメリカで生じた場合には世界的な影響が懸念される。
④ 日本における景気低迷の一層の長期化と金融システム不安の更なる深刻化
日本における景気低迷が一層長期化し,金融システム不安が更に深刻化することとなれば,実体経済面および心理面から東アジア経済の順調な回復を阻害する要因,ひいては世界経済の不安定要因となることはいうをまたない。まず,日本の需要低迷は輸入の減少を通じて世界経済にデフレ圧力を及ぽす。特に,これによって東アジアの経済回復が更に遅れることが懸念される。また,景気低迷の一層の長期化などにより円安が進んだ場合には,それ自体が日本の更なる輸入減を通じて東アジアをはじめとする世界経済に悪影響を及ぼすことに加え,東アジア通貨の不安定要因となりうる。
⑤ 中国・人民元の切下げ
アジア通貨・金融危機後,中国は人民元の対米ドルレートを維持してきた。しかし,98年の中国の経済成長率は上半期でみて前年同期比7%と,目標の8%を下回って推移しており,失業率の引下げには不十分な成長スピードになっている。また,長江などでの洪水の経済的打撃も懸念されている。こうした状況下で,人民元を切下げて輸出を促進し,経済成長率を高めるという戦略を取るのではないかとの見方もでている。中国としては,人民元切下げ以外の措置により輸出を下支えする政策をとりつつ,人民元切下げが通貨・金融危機へ繋がる可能性も認識し,人民元切下げの可能性を強く否定している(第1章コラム1-5「人民元の切下げはあるか」 参照)。仮に人民元が切り下げられた場合には,東アジアの通貨も再び切下げ圧力を受け,通貨・金融危機の第二ラウンドへど繋がっていく可能性が大きいと考えられる。
⑥ アメリカの経常収支赤字の拡大と保護主義圧力の高まり
アメリカでは持続的景気拡大,ドル高,アジア通貨・金融危機の影響などから経常収支赤字が急速に拡大しつつある。他方において,日本の経常収支黒字は円安,国内経済の低迷から拡大基調にある。こうしたなかで,アメリカ国内で対日を中心として保護主義圧力が高まる危険性がある。特にJアメリカ経済がなんらかの理由により下降局面に入った場合には,失業の高まりなどからその危険性が高まるものと考えられる。
これらリスク要因は,ひとつひとつを個別にとらえれば,その世界経済への影響は限られたものであるかもしれない。しかし,これらが連鎖的,複合的に発生した場合には,世界経済全体に極めて大きな影響を与えるものと考えられ,最悪の場合には世界的不況という事態さえ決してあり得ないことではない。既にみたように,大量の資本が瞬時に国境を越えて動き回る今日の世界経済では,ある地域における経済状況の変化は,貿易などの実物面での経路を通じてのみならず,資本,金融面を通じて他地域の経済に大きな影響を与える。そして,後者については,心理的側面も含めそのメカニズムには必ずしもよく解明されていない部分もある。ある地域における通貨・金融危機が思いもよらない地域に伝播する可能性も否定できない。経済危機の伝播は地 域的隣接性よりも金融的関連性に左右され易い。このような世界経済全体の先行き不透明感から,1930年代に発生したような世界的恐慌の再来の可能性について言及する向きもある。
しかし,世界的恐慌の発生した1930年代当時とは異なる制度的な安全弁が今日の世界経済には備わっている。まず,国内の金融システムについては,1930年代の金本位制のような制約要因は存在せず,今日ρ中央銀行は必要な場合には国内金融システム安定化のために最後の貸出者として流動性供給等の措置をとることができる。あわせて,金融機関の規制・監督体制の向上,預金保険制度などにより,金融システム安定化のための制度的枠組みは整ってきている。
次に,国際的な協力の枠組みとしては,まずWTO,IMFなどの国際機関が大きな役割を演じている。1930年代の関税引上げ競争,経済ブロック化,通貨切下げ競争の苦い経験にかんがみ,戦後GATT・IMF体制が確立された。今日の世界経済には,国際収支調整のための融資を行う国際金融機関としてIMFが,また保護主義的圧力への抑止力としてGATTの後身たるWTOが存在している。これらに加えて,G7等の国際的協力の枠組みも存在している。こうしてみたように,今日の世界経済には世界的不況を引き起こさないためのいくつかの制度的安全弁が存在する。
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もちろん,こうした安全弁の存在のみで,世界的不況の回避が保証されるものではない。上述したリスクの顕在化を回避しつつ,世界経済を安定的発展に結びつけていくためには,今日の世界経済の置かれた危険な状況を十分に認識し,各国がリスクを顕在化させないための最大限の努力を行う必要がある。とりわけ,その経済的規模及び他地域への影響度からして,アメリカ,EU諸国,日本の果たすべき役割は重要である。これら地域が良好な経済状況を維持あるいは回復することが何にもまして重要である。世界的なデフレ圧力の一層の高まりに対して,これら諸国は十分な景気刺激策及び危機に陥った新興国に対する金融支援などにより適切に対応することが必要である。
まず,日本については,金融システムの安定化に最善を尽くすとともに,財政,金融,構造改革面からの措置などにより景気の一日も早い回復を図ることが必要であることは言うまでもない。これにより世界経済の安定化に大きく貢献することができる。とりわけ,輸入の増加等を通じて東アジアの経済回復に大きく貢献することになる。本章で既にみたように,これまで東アジアの輸出が総じて期待されたほど伸びていないことの一因としては日本向け輸出の大幅な減少が挙げられる。したがって,日本への輸出が回復すれば,アメリカ,EU諸国への好調な輸出ともあいまって,東アジアの経済回復を輸出面がら下支えすることになる。また,日本への輸出増は東アジア諸国の経常収支の改善に資することから,外貨準備高の増加を通じ,投資家のコンフィデ ンスの回復とそれに基づく資本の再流入にも寄与する。資本の再流入は東アジア諸国の景気回復にとって必須の要件である。このような東アジアの経済回復を資金面からも支援するために,従来からの430憶ドルの支援策に加え,日本は98年10月には通貨危機に見舞われたアジア諸国に対する総額300億ドル規模の資金支援スキームの用意を表明し,東アジアの景気回復に全力を挙げる姿勢を打ち出したところである。
次に,現在いわば世界経済の防波堤となっているアメリカについては,国内の経済状況のみならず世界全体の経済状況に対応しつつ,適切な金融緩和を行っていくことが期待される。既に,9月29日には,連邦公開市場委員会がフェデラル・ファンド・レートの0.25%引下げを決定し,その後10月15山こは公定歩合とフェデラル・ファンド・レートを共に0.25%引き下げた。アメリカの金利引下げによって,世界的な流動性が高まり,新興国への資本流入が促進される。特に,アメリカとの経済的結びつきが強い中南米には好影響が期待される。また,新興国の対外債務の利払い負担が減少するという好影響もある。さらに,アメリカ連邦準備制度理事会が世界的デフレを回避するための行動を率先してとることによって,国際金融市場における不安定感の払拭に� ��立つといった心理面からの好影響も期待される。もちろん,アメリカの金利引下げはアメリカ国内のデフレ圧力を緩和することは言うまでもない。特に,今後アメリカの株価が更に下落し,アメリカ経済ひいては世界経済に対するデフレ圧力が更に高まるような場合には,そのアメリカ経済,ひいては世界経済に与える悪影響を最小化するため,追加的に金融政策を緩和していくことが期待される。
このような適切な措置がとられない場合には,アメリカ経済が大幅に縮小し,それが貿易面及び金融面を通じて世界経済全体に大きな悪影響を及ぼすことになろう。
通商面ではアメリカは保護主義的な措置の使用を厳に慎むべきである。アメリカでは98年4~6月期には経常収支赤字が史上最高額に達しており,今後景気が下降局面に入った場合には,失業が高まるなどの理由から保護主義的圧カが高まる危険性がある。しかし,アメリカによる保護主義的措置の実施は,東アジア諸国など危機に陥った経済の回復を阻害するのみならず,世界貿易の縮小均衡を招く。さらに,他国による類似の措置を誘発する危険性が高い。もちろん,保護主義的措置を慎むべきはアメリカのみならず,先進国,途上国を問わずすべての国である゛ことは言うを待たない。1930年代の世界恐慌を深刻にした重大な政策面での失敗は,アメリカがスムート・ホーレイ法により関税の引上げなどを図り,直ちに他国の報復措置を招いたことである といわれている。
また,EU諸国についても,適切な金融緩和が期待される。99年1月からヨーロッパ中央銀行(ECB:European Central Bank)による統一的金融政策が開始されるが,このことが金融政策の柔軟性を奪うとの見方が一部にある。すなわち,ECBは市場からの信認を得ようとして,物価安定という目標を重視するあまり,域内経済がデフレ的様相を呈しても金融政策緩和に二の足を踏むのではないかという見方である。域内経済,ひいては世界経済全体のデフレ圧力に対抗するために,ECBは物価安定という目標に過度に拘泥することなく,柔軟な金融政策運営を行うことが期待される。これによって,EU域内のみならず,世界経済全体,とりわけEU諸国との経済的結びっきが強い,中・東ヨーロッパ,CIS諸国へのデフレ圧力を緩和することができる。
上記に加え,各国とも,世界的景気後退が深刻化した場合には,財政面からの景気刺激を行うことも可能である。いずれにしても,このような裁量的マクロ経済政策がデフレ圧力に対抗する手段として存在していることが,1930年代の世界恐慌当時との大きな違いである。また,各国は危機に陥った新興国に対する金融支援などにより,危機の広がりと深まりを防止することも可能である。
アメリカ,EU諸国,日本をはじめとする主要先進国は,今後とも,上述したリスク要因を含めた世界経済の動向を注意深く見守りつつ,必要に応じて協調しつつ,適宜適切な政策対応をとることが求められる。
本節でみたように,今日の世界経済には様々なリスクがあり,大きな不安定要因となっている。仮にこれらのリスクが連鎖的,複合的に顕在化した場合には,デフレが世界大の問題にまで発展する危険性は否定できない。このような状況から,1930年代初頭に発生した世界恐慌の再来を懸念する声も聞かれる。
世界恐慌は1929年のアメリカの株価大暴落に端を発し,金融機関の倒産が連鎖的に発生し,さらには第一次大戦の復興の過程でアメリカからの資本流入に大きく依存していたヨーロッパ経済にも資本引上げなどで打撃を与えた。アメリカの実質GDPは,恐慌が最悪の局面を迎えた1933年には,恐慌前の1929年のレベルから約7割のレベルにまで下落し,1929年のレベルに回復したのは1937年であった。
恐慌の発生に対して,欧米などの主要国は財政均衡政策を維持し,為替の切下げによる輸出拡大で対応しようとしたが,これにより為替の切下げ競争が発生した。また,同時に,関税の引上げ・輸入制限による国内産業の保護,更には地域ブロック経済の形成などの政策が実施された。このような措置は,近隣諸国への輸出は増加させるが,輸入は縮小させることになり,結果として,自国の輸出増加による生産拡大を近隣諸国の生産縮小という犠牲の下で行うことから「近隣窮乏化政策」と呼ばれている。しかし,このような措置の実施は他国の対抗的措置を招き,結果的に保護主義の蔓延を招いた。
確かに,現在の世界経済においては,世界恐慌の引き金となったアメリカの株価暴落や,発展途上国を中心に,世界経済の総需要縮小が懸念される中,輸出振興のための為替切下げが連鎖的に行われ,その結果保護主義圧力が増大するという懸念が全くないわけではない。実際に欧米における株高や一次産品価格の低下といった,世界恐慌前夜と類似した現象が現れている。
しかし,これらが直ちに,1930年代のような世界恐慌の再来につながるという懸念は短絡に過ぎるといえよう。
①まず,1930年代当時の中央銀行は今日のような金融システム安定化のための最後の貸出者(alender of last resort)としての機能を担うことはできなかった。今日では,金本位制のような金融政策の制約要因は存在せず,中央銀行は必要な場合には国内金融システム安定化のために最後の貸出者として流動性供給等の措置をとることができる。あわせて,金融機関の規制・監督体制の向上,預金保険制度等により,金融システム不安定化のリスクは小さくなっている。世界恐慌のプロセスを詳細にみると,最初の局面においては,1929年のニューヨーク株式市場の大暴落による消費の冷えこみなど実物面での影響が強かったが,その後は銀行の倒産の多発による金融システムの混乱で不況が深刻化したとされる。1930年から1933年にアメリカでは9,000以上の銀行が営業停止となった。これは,1930年10月頃から一部地域の銀行倒産が預金者の不安を募らせ,全国的な規模で 当座預金や定期預金を現金や郵便貯金に引き換える行動が起きたからである。1929年8月から1933年3月までの間にマネーサプライは28%も減少した。この時期に,銀行取付騒ぎの中,連邦準備制度委員会が「最後の貸出者」としてパニック的な大量の銀行倒産を防ぐことで金融システムへの信頼を維持するという積極的な行動を取るべきであり,そうしていれば,取りつけ騒ぎの拡大による銀行の大量倒産を抑えることができたはずであり,その結果,預金と貸出の大幅縮小は防げたのではないかと考えられる。また,1930年代には,中央銀行間の協力関係も存在せず,各国が自国の利益のみを考えて行動したため,結果として世界的規模での金融システムの混乱を招いた。今日では,主要国間において緊密な連絡がとられており,必要に応じて協力して世界的規 模での金融システムの混乱に対処することが可能である。
②上記①とも関連するが,金融政策面をみれば,世界恐慌の際には金本位制が採用されており,あらかじめ定められた平価の下で,各国の金保有高の範囲でしか貨幣を発行できないという点で,金融政策の裁量が限定されていた。
③また,世界恐慌当時における財政の役割について,アメリカにおいては,193O年代初めの財政政策は,財政政策による景気刺激よりは,むしろ均衡財政の維持にその基本をおいていた。
④さらに,1930年代の関税引上げ競争,経済ブロック化,通貨切下げ競争の苦い経験にかんがみ,戦後,GATT・IMF体制が確立された。
今日の世界では国際収支調整のための融資をする国際金融機関としてIMFが,また,保護主義的圧力への抑止力としてGATTの後身たるWTOが存在している。さらに,世界恐慌の直接の引き金になったのは,1929年のニューヨーク株式市場の大暴落が金融機関の財務内容の悪化を通じた倒産を招き,金融恐慌になったことであるが,現在は,金融機関に対する監督・規制はIlSなどにより国際的にも確立したものが存在している。
⑤今日の世界経済では,グローバルな経済的相互依存関係が深化していることから,輸入を抑止しても,多くの場合,それがすぐに国内生産で代替できるという状況にはなく,経済的厚生の取り返しのつかない低下につながるようになってきている。特に発展途上国においては,生産の拡大のためには中間財や資本財の輸入を拡大することが必要であり,保護主義的措置を取ることのコストは大きい。
こうしてわかるように,今日の世界経済を取り巻く政策・制度面の環境は,世界恐慌当時のそれとは全く異なっているといえよう。
参考:
・Ben S.Bernanke,"The Macroeconomics of the Great Depression"(Journal of Money,Credit,and Banking Vol.27No.1,95年2月)
・Gregory Mankiw,"Macroeconomics"(version3).
RobertGilpin,"The Political Economy of International Relations"
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