2012年04月08日
混沌のあとに残された課題⑦(完)
頓挫しているAリーグ拡大計画 またしても見送られたキャンベラとサウスコースト さて、退会させられたゴールドコースト・ユナイテッドの後釜としてウェスタンシドニー(シドニー西部)のクラブが立ち上げられることになった経緯は説明したが、オーストラリアの多くのサッカー好きの間ではその決定にも 素直に喜べない理由がある。 確かに国内最大の登録者数(ジュニアからシニアまで)を誇り、多くの代表選手を輩出してきたシドニー西部がAリーグに参加することは経済的・文化的な理由を考えると当然の事と感じるが、既に州リーグに存在する多くの歴史的・伝統的古豪クラブとその熱狂的なサポーター文化を無視して、新クラブをわざわざ立ち上げる ことに対する疑念と正当性は前回の記事で取り上げた。 だが、それ以上に首を傾げたくなる事情があり、それは新フランチャイズ選定の際に見送られた「落選地域」に関することである。 キャンベラ・ユナイテッド まず、キャンベラにはすでにWリーグ(女子プロリーグ)最強のキャンベラ・ユナイテッドというクラブがあり、 球技専用のキャンベラ・スタジアム(25,011人収容)も健在だ。女子チームが先にあって、それから男子チームを新設するという考えは稀ではあっても合理性に何の問題もない。また、キャンベラはオーストラリアの首都であり、行政の中心部でもある。すでに経済界と行政、そして地域もAリーグクラブの重要性については合意しており、資金も集まったという報道は何度もされている。 にも関わらず、キャンベラは今回も見過ごされ、納得のいく説明はFFAからは何もない。 サウスコースト・ウルブズ 2000年度のオセアニア王者はシドニーから南に2時間、ウーロンゴン地方のクラブであり、今世紀初頭は豪州のみならずオセアニア屈指の強豪であった。もちろんAリーグ発足時のオリジナルクラブの候補でもあり、以降幾度となく参加について議論がなされてきた。 Aリーグの拡大路線として、できるだけ広域的なアイデンティティを持つクラブを優先的に参加させてきた経緯もあり、より広い意味でサウスコースト・ウルブズと名称を変えたが、その妥当性はいまだにサポーター間でも決着は付いていない。 港湾地帯に建立されたWINスタジアム(20,000人収容)が本拠地であるが、なにせ湾岸地域であるため、 海からの横殴りの潮風の影響を受けてボールをの落下地点を予測しにくいという「超アウェー」なプレー環境を生み出せる数少ないスタジアムとして知られている。 ブラックタウンシティFC(デーモンズ) 前の記事でも取り上げたが、あのサー・ボビー・チャールトン(マンチェスターU)やケビン・キーガン(リバプールやニューカッスル・ユナイテッド)が在籍していた州リーグ屈指の古豪クラブである。実力も兼ね備えており、 毎年上位に進出。プレシーズンや特別企画などでAリーグ勢と対戦しても勝ったりもする。また、多くのAリーガーを輩出することでも有名。 本拠地のリリー・ホームズ・スタジアムは7,500人収容と小粒だが、シドニー西部を代表するクラブであることに違いはない。ただ、地理的には難しい部分もあり、シドニー西部のさらに西の端に位置するため、人口は少ない。すぐ後ろには世界遺産のブルーマウンテンズ国立公園が広がる。 上記以外にもケアンズ(QLD州)、先住民選手発掘の可能性を秘めるダーウィン(北部準州)、ホバートとロンセストンのタスマニア島の2大都市(TAS州)、工業地帯のジーロング(VIC州)、内陸のギップスランド(VIC州)などの候補がFFA会長のフランク・ロウイー氏の口から出たものの、やはり現実的に最も近いのはすでにクラブが存在するキャンベラ、サウスコーストの2候補である。2クラブを無視してまで新設するウェスタン・シドニーが、多くの古豪クラブを擁するシドニー西部の大多数の支持を受けることができるのか。そして、ノースクイーンズランドとゴールドコーストに続いて三度新設クラブが失敗した場合、FFAはどのように責任を取るのか。その答えが出る日は近い。 クラブ数は減っても、ACL出場権は増える奇怪現象。AFCの真意は? 今季のACLに興味のある方はもうご存知かと思うが、今季より新たにAリーグクラブに与えられるACL出場枠が0.5枠増えた。0.5枠というのはプレーオフ出場枠ということである。昨季にノースクイーンズランド・フューリーが解散して、Aリーグは10チーム構成になった。そのうち、ウェリントン・フェニックスはニュージーランドのクラブなので、アジアではなくOFC所属クラブ扱いとなり、例えAリーグを優勝してもACLには参加できないことになっている。つまり実質的には9チームに対して2.5チーム、この3番目のチームが本選に出場した場合は9チーム中3チームがACLに出場するという事態になっている。つまり3チームに一つはACLに出るのである。 インドネシアでFIFA承認の国内リーグに対抗するかたちで独立リーグが発足し、これがAFCの意に反してCAS(スポーツ仲裁裁判所)で勝訴したことや、中国の第4チームが敗れればAFCカップに参戦する義務があることを理由にプレーオフを辞退したことなどで一時情報が錯綜したが、このプレーオフ形式は来季以降も継続されるらしいため、FFAは喜んでいるがいくらなんでも1/3というのは多すぎなのでは、と感じる方も多いと思う。 以前、AFC会長のモハメド・ビン・ハマム氏は、Aリーグが3枠を要求した際に、「昇降格もなく、10チームしか いない1カテゴリのみのリーグに3枠は多い。日本や韓国、中国のように2部制でチーム数も多くなったときに 再考する。また、OFC所属のウェリントンに関しては早急に解決(つまり退会させて、変わりに国内チームに 移管させろ、ということ)しなさい。」と国営局SBSのインタビューで厳しく言及していた。 それにも関わらず、このようなアメを配るのは、2022年W杯開催権をカタールに奪われ、いまだにしつこく「不正を犯したカタールを除く4国で再投票しろ」と主張しているFFAを黙らせる「ご褒美」のような気もしなくもないが、この真相はベトナムやインドネシア、マレーシアの国内リーグが発展しないかぎり出てこない気がするのは 筆者だけであろうか。 拡大路線を標榜しておきながら、実際には縮小路線に舵取りを転換させられつつあるAリーグと、そんなリーグをなぜか高く評価し、ACL枠を増やしてくれたAFC。色んな意味で目を離せないのが、豪州サッカー界の醍醐味なのである。 <完>
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2012年04月08日
混沌のあとに残された課題⑥
民族闘争の代理戦争になりえるサッカー 前の記事ではAリーグが、旧体制に構築されたNSL(National Soccer League)のクラブで占める豪サッカーの源流であり今なお主流でもある州リーグとは意図的に切り離された位置にあることに焦点を当てた。 その州リーグであるNSWPLには、特定の移民によって創設されたクラブが多く、必然的にそのアイデンティティに同調する移民系のサポーターたちが集まりやすい状況となっている。 例えば今季の参加クラブを検証してみると、 ボニリグ・ホワイトイーグルス(セルビア系) シドニー・ユナイテッドFC(クロアチア系) APIAライカールト・タイガーズ(イタリア系) マルコーニ・スタリオンズ(イタリア系) シドニー・オリンピックFC(ギリシャ系) バンクスタウン・シティ・ライオンズFC(マセドニア系) ロックデイル・シティ・サンズ(マセドニア系) なんと12チーム中半数以上の7チームにヨーロッパからの移民によって立ち上げられた歴史があることが分かる。 また下記のチームはそれぞれホーム開催できる立派なスタジアムを持っている。 シドニー・オリンピックFC(ベルモア・スポーツ・グラウンド=25,000人収容) APIAライカールト・タイガーズ(ライカールト・オーバル=20,000人収容) サウスコースト・ウルブズ(WINスタジアム=20,000人収容) ウェスト・シドニー・ベリーズ(シドニー・オリンピックパーク・AC=18,000人収容) シドニー・ユナイテッドFC(シドニー・ユナイテッド・スポーツ・センター=12,000人収容) マルコーニ・スタリオンズ(マルコーニ・スタジアム=11,500人収容) 歴史の面からも、サウスコースト・ウルブズ(前身はウーロンゴン・ウルブズ)は2001年の「幻の第2回クラブW杯(スペイン開催)」への出場が決まっていたオセアニア王者であったし、サザーランド・シャークスなどは創設が1930年の古豪である。 しかし圧巻なのは、シドニー西部を本拠とするブラックタウン・シティFC(旧デーモンズ)で、1953年創設のこのクラブは現在もNSW州屈指の強豪としてAリーグのシドニーを破ったりもしている。さらにクラブの歴代選手には、なんとサー・ボビー・チャールトン(マンチェスター・ユナイテッド)やケビン・キーガン(リバプールやニューカッスル・ユナイテッドなど)までが在籍していたのだから驚愕である。これほどまでの歴史、サポート、実力の あるクラブがなぜAリーグには見向きもされないのか。豪サッカー界の多くの人間がFFAに突き出した命題でもある。 人種間の闘争を畏れるFFA 旧体制が構築したリーグに属するクラブとの決別。そこには、特定の移民のサポートに基盤を置くクラブと関与することに対する恐怖がある。そして、FFAが熱狂的なサポーターを持つシドニー・ユナイテッドやボニリグ・ホワイトイーグルスに畏怖の念を抱く理由も残念ながらある程度は理解できる。 実際、ここ数年でもボニリグ(セルビア系)とシドニー・ユナイテッド(クロアチア系)の試合ではサポーター同士の暴力沙汰が取り上げられ、そのたびにライバルコードであるリーグ制ラグビーやAFL(オージーボール)の 広報に「サッカーは移民闘争の代理戦争のようなもので、家族連れが気持ちよく感染できるスポーツではない」といった危険でネガティブなレッテルを貼られてきた。 サッカーのクリーンで健全なイメージを植えつけたいFFAとしては、Aリーグにこういった移民系クラブを参加させないことで自浄作用を促そうとした経緯があるが、それは多くの伝統的なサポーターたちを除外し、シドニー西部を隔離することに繋がった。上記以外でもシドニー・ユナイテッド(クロアチア系)とシドニー・オリンピック(ギリシャ系)のシドニー・ダービーにはやはり警察を介した緊張感が高まり、APIAやマルコーニといったイタリア系クラブの試合でもそれは同様である。また、マセドニアのバンクスタウンやロックデイルも、ボニリグやシドニー・ユナイテッドとの対戦にも部外者は十分気をつけなければいけない、という場外乱闘の危機がつきまとう。 ただ、英国リーグでもミルウォールやウェールズのカーディフ・シティなど、昔からトラブルが起きやすい 地域・クラブ環境はあったものの、FAは長い年月をかけてプレミアリーグを頂点とするピラミッドに属することの重要性と女性や子供でも観戦に来れる安全な観戦環境の確保に力を注いできた。 もちろん、イングランドの場合は人種間闘争ではなく社会階層の違いに起因したトラブルが主流ではあったが、新スタジアムで子供が一生懸命に観戦しているカーディフの試合などを見るかぎり、もしFAがこういった クラブや地域をピラミッドから排除して、除外していたらクラブ主導の自浄努力は行なわれなかったのでは ないかと考えてしまう。 「州リーグの移民系クラブ」は関係ないので、Aリーグだけ観てください、というFFAの稚拙なアプローチがもう一度問いただされるべき時期に差し掛かっているのである。アメリカのように都市部への移民の流入によって成り立っている経済社会で、「移民は排除」という思想は、特にサッカーという競技では的外れであり、この点についてはFFAも理解しているはずである。が、同時にセンシティブな移民間闘争によって、彼らが再構築しようとしているクリーンなサッカーそのもののイメージが壊されることに対する恐怖心を拭い去ることは容易ではない。 一人の日本人として無責任に聞こえてしまうかもしれないが、FFAは段階的にでも州リーグの古豪たちを可能なかぎりAリーグに組み込むことで、サポーターとの距離を縮めつつ、その連携を軸としてスタジアム内のトラブルを徐々に排除していく試みを企画すべきだと私は感じる。そして、その上で「Aリーグとサッカーのおかげでこの街は住みやすくなった」と地元地域に言ってもらえれる日が来るように前進していくしかないのである。 そんな日が訪れることを切に願ってやまない。 <続く>
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なぜ戦争はnecesarryです。
2012年04月08日
混沌のあとに残された課題⑤
オーナーたちの手に委ねられた歪んだリーグ構造 2012年4月4日(水)の午後、FFAのベン・バックリーCEOはジュリア・ギラード首相と共にシドニー西部で新たなAリーグのフランチャイズとなる「ウェスタン・シドニー」の参加を発表した。これにより、予想されていたゴールドコースト・ユナイテッドのAリーグからの退会が確定した。 発足から3年、前述のように安定した成績面と国内随一の育成プログラムで存在感を放ったチームは、オーナーのクライブ・パーマー氏とFFA運営陣との衝突の犠牲になった。だが、成績・育成面での成功以上にクラブの存在意義を証明できたであろう「地域との密着、そして興行面での成功」は最後までリーグ最下位という今季の成績に比例するものであった。それでも、1,500人強といわれた最後まで忠誠心を誓ったGCUサポーターたちの心境を考えると、このあまりにも強引なFFAのやり方には納得できない部分が多い。 昨年、サッカー界の多くの反論を無視して消滅させたノースクイーンズランド・フューリーに続いてまたしても 新参クラブが消えた事実は、拡大路線を目指すFFAのビジョンの短命性と、サッカービジネスどころか競技と地域のアイデンティティを確立するというレベルにおいてのサッカーの魅力さえも知らないであろう富豪オーナーに資金繰りをさせておきながら、丸投げで「あとはよろしく」と放任する極めて歪んだリーグ構造を再度浮き彫りにした。 リーグの運営スタイル自体に問題があるという指摘が多いことにはもちろん理由がある。昨季にノースクイーンズランドが経営難で解散する可能性が強くなった時点で、サッカー界ではFFAが運転資金を投入するべきだ、という意見が多勢を占めた。ノースクイーンズランドの存続に必要とされた資金は1億とも3億円とも言われたが、金額に関してはFFAとクラブの発表に大きな隔たりがあるため、ここでは上記の範囲でとしておく。しかし、FFAはこの資金投入を拒否。非現実的な期限を定め、資金を集めることができなったクラブをたたんだ。 FFAに頼らない経営を、というスタンスは理解できないことはない。しかし問題視されたのは、オリジナル8で あったアデレードとブリスベンにはそれぞれ2億円近い追加融資を行なっておきながら、ノースクイーンズランドにはそれを行なわない、という明らかなバイアスが存在したからである。もちろんアデレードとブリスベンは当時FFAの直轄下にあり、ノースクイーンズランドやゴールドコーストは独立したオーナーの株式会社であったが、そもそもサッカー協会が運営するクラブは救済するのに、拡大方針のもとに生まれた独立クラブは突き放すというのは、いかがなものであろうか。特にリーグ自体がまだ幼少期である現時点である。 ウェスタン・シドニーは本当に成功するのか ゴールドコーストが退会させられた今、後釜となる新興クラブは「最後のフロンティア」として常々議論の対象となってきたシドニー西部となることが正式に決定した。歴代サッカルーズのスターたちを見ても、シドニー西部が輩出してきたタレントは歴然としている。現役ではFWキューウェル、ケイヒル、エマートン、清水のアレックス、GKシュワルツァーなどがこの地域の出身であり、日本でいえば町田や鹿児島のような感じかもしれない。 そして国内で最もジュニアの登録数が多いのもこのシドニー西部である。だが、そこには「旧体制との決別と新たな関係の構築」というFFAが今も抱える最大のジレンマが存在し、それゆえにこの最大のポテンシャルを持つ「フロンティア」の開拓には相応の注意と考慮が不可欠であると説かれてきた。上述の旧体制とは、FFAの前身であるSoccer Australia、つまり前協会が掌握していた旧NSL(National Soccer League)時代から 生き延びた地域クラブたちを指す。このNSL時代から直接Aリーグに昇格したのがパース・グローリーのみ であることからも、両時代のサッカー協会の間の歪みの深さを垣間見ることができる。 健全なピラミッドが存在しない豪州サッカー これが最大の登録者数を誇るシドニー西部となると、関係図はさらに複雑になる。この地域のNSL時代の強豪クラブたちは現在、「NSW州プレミアリーグ」という2部にあたる州リーグに在籍しており、1部であるAリーグとの間には現時点で昇降格が行なわれない。つまりNSWPLのチームはAリーグクラブの選手供給源としかなっていないわけである。 問題なのは、NSWPLの古豪クラブには現在も熱狂的なサポーターたちがついており、また集客の面でもまずまずの成績を残している。さらに多くのクラブは小粒ではあるもののフットボール(ラグビーも含め)専用スタジアムまで所有しており、代表戦が行なわれた施設まである。ところが、こういったクラブやそのサポーターの 多くはAリーグに興味を示さず、FFAから強引に切り離され、黒歴史の一部に葬られた顛末を憎しみを持って 記憶していることが多い。最大のポテンシャルが眠るシドニー西部は、ある意味ではFFAとAリーグとは相反する 性質を備えているというわけだ。 では、なぜFFAはこのようなNSWPLの人気クラブをAリーグに昇格させず、わざわざ協会主導の新チームを 創設しようとしているのか。そこにはオーストラリアが世界に発信する「多文化主義と他民族の調和」という 人類が恒久的に追及するであろうテーマが眠っている。 <続く>
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2012年04月08日
混沌のあとに残された課題④
FFA(豪サッカー協会)の組織運営の批判を繰り返し、オーストラリアのサッカー界の構図を根底から覆そうとした元ゴールドコースト・ユナイテッド会長のクライブ・パーマー氏と他クラブの会長が仕組んだ造反劇に焦点を当てた今シリーズ。パーマー氏は前回までの批判以外にも何点かの指摘をしているが、憶測の域を出ない 証拠のない批判が数多くあったことも事実で、これらの論点に対してはFFAが無視したり、「事実に反する」の一声で掻き消す事に成功している。 例えば、以下のようなものもあった。 ・国内リーグ最高峰に位置する「Aリーグ」の独占放映権を有料ケーブルのFOXTELが所有している。 パーマー氏は国営局SBSを含める民放ステーションによる健全な入札がなされずに、FFAがFOXTELと秘密裏に契約を進めた、と糾弾。 これについては、例え形式的にでもFFAは入札のかたちで放映権交渉を行なっており、圧倒的な財力を持つ世界有数の財閥グループであるNEWS LIMITEDのグループ企業「FOXTEL」に民放局はどこも敵わなかった、という見方が事実に近いと考えられる。 Aリーグだけでなく、W杯予選、アジアカップ予選といったサッカルーズの試合もFOXTELという有料ケーブルでしか放映されない現状は、この国に住む多くのサポーターたちに取っては好ましくない。ちなみに、W杯本選は全試合、無料地デジのSBS局が放映権を獲得している。逆に言えば、オーストラリアに住む人々は、サッカルーズがW杯本選に出場できなければ、無料の地上波で代表の試合を一試合も観ることができないのである。 しかし、高額入札者が放映権を勝ち取ることでFFAの懐に入る金銭的メリットはやはり大きく、リーグ幼年期である現在は、FFAが躍起になって最高額を追い求める心情も理解できないことはない。が、やはり相乗効果、つまり代表の試合に容易にアクセスできることでサッカーという競技に新たに関心を持つ観客層が増えれば、その波及効果が国内リーグであるAリーグに還元される可能性、も無視することはできない。 愛国者を自負するパーマー氏でなくとも憂慮すべき課題といえるのではなかろうか。 <続く>
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プエブロは何着るんでした
2012年03月18日
混沌のあとに残された課題③
パーマー氏の言い分③ 40億円近い税金を投入したのにもかかわらず、2022年W杯の招致に失敗した 検証 この点についてパーマー氏は、あくまでもFFAに全責任があると非難を展開しているが、では、パーマー氏や他クラブのオーナー、つまり天然資源界を牛耳るこの国の経済界の大物たちだったら成功したか、というとそれは知る由もないことではあるが、気になる点はある。 FFAのキャンペーンは基本的に「オーストラリアはこんなに素晴らしい国だから是非W杯を開催するべきです。」という至極独善的かつ誇張的なものであった。ツーリズムや観光業界のPRであれば、そこまで的外れともいえないアプローチであったかもしれないが、このスタイルは当時SBSでもFOXTELでも一様に懸念された。 というのも、投票権を持つFIFAの理事たちにとって自己誇張を繰り返したFFAのアプローチはただのお家自慢でしかなく、彼等にとってのメリットは皆無であったからだ。この懸念は他の招致国のプレゼンが始まるとさらに焦燥感を生み出した。なぜなら、日・韓・米・カタールの招致プレゼンはすべて「○○でW杯を開催をしたら、このようなメリットがあります」という、理事たちの心情に語りかけるものであったからだ。 もちろんメリットと言っても金銭や贈答品のことだけを指しているのではなく、「意義」や「功績」という意味も含まれる。英国のタブロイド氏がスッパぬいたように、理事の中には「金や女で動く」種類の人間もいる可能性はある。だが、そのレベルでの賄賂や便宜はどの世界・業界でも慣習化されており、ビジネスや交渉事の円滑油としてそういった類の要素の存在を否定することは稚拙でしかない。それら以上に理事たちの決断に影響を与える要素が「意義」であり、そして「功績」なのである。 そして、この点こそパーマー氏が最も歯がゆく感じた部分であると推察される。理事たちの心を動かす「W杯開催の意義=功績を立てる機会の創造=歴史に名を残すきっかけ」という流れを財政支援で約束しなければならないわけだ。例えば、「あなたの国に学校を建てたり、サッカー場を作るお手伝いをしたい。」というオファーに飛びついた理事がいた。英紙はこぞって「汚職理事」のレッテルを彼に貼り付けて糾弾したが、サッカーにおける招致活動は巨大ビジネスと外交の二面性を持っており、その両方に共通するのは交渉時の「密約」である。 つまりギブ・アンド・テイクの概念であり、これは人間社会そのものの内面的本質でもある。日本がIWCで商業捕鯨再開に一票を投じてくれる理事国に経済的支援を約束することに対し、欧米諸国は「買収行為だ」と批判するが、その実、欧米のビジネスシーンでは普通に行なわれている行為であり、欧米お得意のダブルスタンダードに過ぎない。 世界的な経済格差は紛れもない現実としてこの地球上に存在する。それは誰もが知っていることである。そして、その格差は経済的、歴史的、文化的な面だけでなく、地理的、気候的な要因から成り立つ「格差の螺旋」の流れを受け継いだものであり、西洋社会の言う「フェアプレー」ではどうやっても埋まらない特性を持っている。つまり富める者はさらにその富を拡大し、貧しい国はさらに深刻化する貧しさに直面するという構造となっているのであり、市場の原理が謳う「フェアプレー」はあくまでも一方的な概念の押し付けに過ぎない。途上国・地域に取っては市場原理主義のフェアプレーを打破することこそが、格差解消、そして搾取からの脱却への一歩である時点で、この押し付けは「通用しない」ことになる。 中東、そして度合いは違えど、やはり天然資源開発で現在の地位を固めることに成功したオーストラリアやインドネシア(22年W杯の招致国であったが、初期段階で政府の承認が得られずに撤退。2014年のコロンビアに状況が類似)は、限りある人口やインフラでの劣勢を「天然資源」という市場原理に通用する実弾を用いて対抗してきた。その渦中にいたパーマー氏は、「ギブ・アンド・テイク」あるいは「ウィン=ウィン」のビジネス関係を熟知している人間であったからこそ、経済的に、そして社会的に途上国である国・地域の理事たちに約束できるメリット、そしてそれによって獲得できる一票の重要性を認識していた可能性はある。 手段はともかくとして、FIFAは、建前だけでなく本音の部分でもサッカーの力で「より良い世界」を目指している。汚職していようが、腐敗していようが、私腹を肥やしていようが、多くの理事たちは同時に理想家たちでもある。FFAとの対決姿勢を崩さず、クラブライセンスを剥奪されたパーマー氏もまた、その判断が妥当であったかどうかは別として、理想家であった。そして、その破天荒さとは裏腹に、FIFA理事同様に、格差解消の一縷の望みは「列強国のフェアプレー」を超越した次元での資産の移動しかないことを理解していた、と筆者は考える。 富める者が貧しい国・地域・産業に「無償の譲渡」を続けることが、格差を解消しうる唯一の効果策と考える途上国の理事は多いはずだ。そして、彼らの持つ一票はW杯開催国を決定するプロセスの中で、それらの国が今まで持つことを許されなかった効力を持つことになる。故に、「私の一票が欲しければ、私(わが国・連盟)が望む物を用意しなさい」という立場を作り易くなる。 「フェアプレー」を最も強く大きな声で訴えかけていたオーストラリアとイングランド。この2国が投票の最初のラウンドで姿を消したことには、単に「英語文化圏への憎悪」以上の理由がある。英語文化とヒスパニック、そして移民文化から構成される米国は最終ラウンド(決選投票)まで生き残ったからだ。テロへの懸念、文化間衝突、経済的な不安などネガティブな要素はそれなりにあったにせよ、だ。もちろん、94年W杯は数字の上では最も成功したW杯として記憶に新しいかもしれない。 新たな大陸・地域での開催、を目標としていたFIFAから見れば、中東のカタールも(地理的には)オセアニアのオーストラリアも同様に重要な選択肢であったはずだ。だが、蓋を開けてみればオーストラリアは得票数1票で、ダントツビリで最初に消え、カタールは開催権を獲得した。 そのオーストラリアの1票も、以前から共闘宣言をしてきたイングランドFAのジェフ・トンプソンではなく、FFA関係者と親しい関係を築いてきたドイツDfBのフランツ・ベッケンバウアーの公算が高いという。 もしこれが事実ならば、第一次大戦のガリポリ(トルコ)の戦いに続き、オーストラリアは再び「母国」イギリスに裏切られたことになり、皮肉にも当時の敵国ドイツに支持されたことになる。 招致アドバイザーとして参加したピーター・ハージタイ氏は、招致失敗直後に国営局SBSのインタビューに登場し、「敗因はフェアに行き過ぎたこと」と憔悴しきった様子で話していた。FIFAの裏メカニズムを熟していたハージタイ氏が理事たちへの根回しの重要性、約束事の意味、そして上記の「格差解消のための無償の譲渡」についてもFFAに助言していたであろうことは容易に想像がつく。だが同時に、スキャンダルを恐れる政府関係者で占めた招致委員会が密約に臆し、関係構築に徹することができなかったであろうことも察しがつく。 余談だが、筆者がオーストラリアの映像制作会社に在籍していたとき、数多くの日本の企業と仕事をする機会に恵まれた。大きなプロジェクトの受注交渉時には契約書には含むことのできない約束事も時と場合によっては必要であり、日本の人たちはそれが経営者であろうとも、現場の代表であろうとも、たとえ口頭だけでも約束したことは必ず実行し、「約束を守れなかったら弊社の信用に関わりますから」と当然のように便宜を図ってくれた。 しかし、オーストラリアやニュージーランドの会社の場合、「お約束はできません」、「契約書に含めれていないので」と言葉を濁し、結局、あからさまに自身の保身を優先して、踏み込んだ関係を構築できない会社が多かった。書面で法律的に縛っておかない限り、踏み込んだ仕事をすることが怖いのである。人間同士で信用できないため、裏切りばかりを懸念している。実際、ビジネスにおいての裏切りは多い。そして官主導のプロジェクトはほとんど上述の権化のようなものなので、常に埋めることのできない距離が存在する。 政治生命を賭けてFIFA理事会(通称: Ex Com=Executive Committee)に座る理事たちから見て、オーストラリアの招致PRはさぞかし欺瞞に満ちて自己中心的であったことだろう。開催条件だけ見ると、カタールのアピールポイントは克服しなくてはならない課題ばかりである。しかし、それを乗り越える可能性を見出す技術やインフラ構築を支援する財政基盤をカタールは持っており、そしてその実現にかかる莫大なコストを実際に費やす決意があった。夢の実現を目指し、理事たちの要求するものに応えた。その面では2018年のロシアにも共通するものがある。 要は、この2国が招致キャンペーンに費やした理事たちへの「便宜」によって解消される経済格差や機会格差の幅は、オーストラリアやイングランドが約束できた可能性を遥かに凌駕していた、ということであろう。 このように、「お国柄」に影響されやすい巨大イベントの招致活動においては、例えパーマー氏のようにビジネスの本音を建前を理解している人間が中核に存在しても、政府の支援を受けている限り、招致組織そのものの共通理解として方向性が共有されないかぎり、足並みは揃わない。パーマー氏の批判には賛同できる部分もあるものの、それでは、彼主導の招致キャンペーンならカタールを破って開催権を得られたかと問われると、必ずしもそうだとは考えられないのである。 <続く>
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風船アイダホフォールズ
2012年03月15日
混沌のあとに残された課題②
パーマー氏の言い分② オリルーズ(五輪代表)の予選敗退は選手ではなく、FFAの責任である 検証 本来のFFAの領域である代表チームの1カテゴリーであるオリルーズの成績についてパーマー氏が 口を出さずにはおれなかったのには理由がある。 今年1月、2012年ロンドン五輪に向けてアジア最終予選を戦っていた折ルーズは3戦を消化し、3分け(勝点3得点0)と苦しい状況に悩まされていた。2月にはグループ最強と目されていたUAEやウズベキスタンへの アウェー連戦が控えている。アデレード・ユナイテッドを2008年ACL決勝へ導いた監督のアウレリオ・ビドマーは攻撃力の改善と最重要課題としていた。しかし、FIFAの国際マッチデーにあてはまらない五輪予選では、海外組は招集できず、さらにAリーグが大事な時期であることもあり、国内組の招集にさえクラブ側からは反発があった。日本でも各クラブ2人までという選出の理があったと記憶している。 ここでFFAが介入し、クラブ側の意見を聞き入れるかたちで各クラブは最大3選手までしか出さなくてもよい、という方針が打ち出された。多くのクラブは安堵したが、ユース育成に力を入れ、次代のサッカルーズを地元から輩出しようと目論んでいたパーマー氏にとっては受け入れ難い決定であった。特にリーグ最下位で上位進出の道が既に絶たれつつあったGCUにとって、オリルーズへの選出は数少ない明るいニュースであったため、「たった3人??」というのがGCUの正直な感想であったはずだ。 断言はできないものの、もし各クラブの人数制限が設定されていなければ、オリルーズのスタメンにはGCUから6人ほど選出されていた可能性はある。地域のユースからトップへ、という思いを抱いていたパーマー氏が オリルーズのふがいない成績に立腹する気持ちは少なからず理解できる。プロスポーツがビジネスとして確立することの重要性には疑いの余地はない。しかし、GCUのように財務基盤がFFA以上に磐石なビジネスモデルに同様の規定を当てはめる道理が筆者には見えない。「この大事な時期に若手の主力を持っていかれては 困る」というクラブの心情には合致しても、「お国のためならこんな栄誉はない。何人でも持っていってくれ」と 祈願していたGCUの眼には、それこそ不公平な決定として映ったことだろう。 さて、そんな賛否両論のクラブ主導の選出基準を設けたオリルーズのその後の成績は目も当てられないほどお粗末であった。 オリルーズのロンドン五輪アジア最終予選は以下のとおり 11年9月21日 0-0 v UAE (H) 11月22日 0-0 v イラク (A) 11月23日 0-0 v ウズベキスタン (H) 12年2月5日 0-2 v ウズベキスタン (A) 2月22日 0-1 v UAE (A) 3月14日 0-0 v イラク (H) 結局、一度も相手のゴールネットを揺らすことなくグループ最下位で敗退した。愛国者として知られるパーマー氏が激怒したことも頷ける。 辛口な姿勢で有名な国営局SBSの解説者も今回ばかりはビドマー監督を責めずに、「将来のことも見据えて今回は結果以上にスタイルを追求したと言い切れるのであれば、ポジティブに捉えるしかない」とコメントしていたが、スタイルというのはあくまでも結果を得るための手段であり、上記のような結果では観客も関係者も 好意的な印象を持つことは難しい。そして選手たち本人も打ちひしがれたこと以外に何か得るものはあったのだろうか、と心底疑問に思う。 この世代が次代のサッカルーズを構成できるかは、確かに代表チームを統括するFFAの責任の下、どのような世代交代が行なわれるかに懸かっており、現時点ではその道のりは暗く厳しいものとしか考えられない。 この点についてはパーマー氏の批判にも一理あるように感じる。 <続く>
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2012年03月10日
混沌のあとに残された課題①
前回はクライブ・パーマー(ゴールドコースト・ユナイテッド前会長)がFFAに対して起こした造反劇を要約して 紹介した。 今回は、その渦中にTVや活字媒体を通してオーストラリア中に撒き散らされたFFAが抱える問題と、それに 対するパーマー氏の批判の正当性について検証してみたい。 パーマー氏の言い分① ゴールドコーストは成功していた。 検証 何をもってして「成功」を語るかは、どの角度から物事を検証するかによって変わるが、ここでは「成績・育成・地域との密着(興行)」という3つの観点から同クラブの業績を見てみたい。パーマー氏がクイーンズランド州で最も財力のある大富豪であることを考慮すると、クラブ自体の財務成績はあまり検討の価値がないのでここでは語らないことにする。 まず「成績」については、リーグ在籍期間が今季を含めても3シーズンのみという短期間では考えにくいほど 充実していた。初年度の09/10シーズンはパーマーの財力でジェイソン・ツュリーナやNZ代表FWシェーン・スメルツを補強し、レギュラーシーズンを3位で終了。プレーオフはホーム開催であったものの、PK戦の末にニューカッスルに敗れたが、記憶に残るデビューシーズンであった。ただ、開幕直前に「シーズンを無敗で独走優勝する」など身の程知らずな発言をしていたパーマーは冷ややかに見られていた。 2年目となる10/11シーズンもチームは堅固な守備と効率の良い攻撃で勝ち点を重ね、レギュラーシーズンを 4位で終えた。前年度の経験を生かし、プレーオフも優勝候補の一角であったメルボルン・ビクトリーとアデレード・ユナイテッドをそれぞれアウェーで撃破し、初の準決勝に進出。セントラルコーストに敗れ、惜しくも決勝進出はならかったものの、このシーズンはユース出身者が多くデビューし、明るい未来を感じさせる一年だったと言える。 3年目の今年は、さらにユース出身者を多く起用し、ジェームズ・ブラウンやベン・ハロランといった代表候補になりえる逸材を成長させた。ただ、ベテラン選手との融合には時間がかかり、残り6節を迎えた2月中旬の時点ではダントツの最下位であった。 最初の2年度は好成績を残していたが、3年目そして最後の年となった今季は連携がうまくいかず、守備以上に攻撃の面で結果がついてこなかったと言える。しかし、多くの生え抜きの選手を起用し、その彼らの発展の土壌となったシーズンでもあり、この点は次の「育成」に繋がっている。 同クラブの「育成」システムがオーストラリア随一であったことを証明する点は2つある。まず、前述の生え抜き選手たちのトップチームでの活躍とU-23代表への招集である。上記のブラウンなどはAリーグ最高の選手たちを相手にしてもまったく見劣りはしなかった。 もう一つの証拠、これは一目瞭然なのだが、それは08/09シーズンに新設されたユースのリーグ戦「National Youth League」における成績である。初年度こそシドニーFCが制したものの、ゴールドコーストが参入した09/10シーズンと10/11シーズンは同クラブが圧倒的な強さで優勝。特に昨季は他の追随をまったくといって許さなかった。この点からも「育成」に関して同クラブがAリーグ最高峰のシステムを持っていることに異論は ない。 以上の2点を見ると、非常に魅力的なコンテンツを有するクラブのように聞こえるが、観客動員数は常にリーグ最下位であった。そこで、クラブの成功を計る上で欠かせない最後の成功要素「地域との密着(興行)」について見てみる。この点はFFAのみならず、豪サッカー界が最も辛辣に批判を繰り返した点である。 「興行」を数字として如実に表す要素の一つに、観客動員数がある。サッカーに限らず、プロスポーツの世界では入場料収入はビジネスの収益に直結する重要性を持つ。パーマー氏が「リーグ式(13人制)ラグビー(日本で言うラグビーとは似て非なるもの)の方が良い競技だ」と発言した背景には、同地域で活動するラグビーチームの「ゴールドコースト・タイタンズ」の存在がある。同じスキルド・パーク・スタジアム(収容27,400人)を拠点とする新興チームであるタイタンズの動員数と比較することで、両競技のサポーターベース構築の成功率が 分かるかもしれない。 ただ、ゴールドコーストには以前よりリーグ式ラグビーのフランチャイズは存在しており、近年ではジャイアンツ(1988-89年)、シーガルズ(1990-95年)、そしてチャージャーズ(1996-98年)と10年にわたりブランドを変えながらも地域を代表するアイデンティティとして根強い人気を誇ってきた土壌があったことを念頭に置いておきたい。 ゴールドコースト・タイタンズ(リーグ式ラグビー)観客動員数 年間平均 シーズン最多動員 07シーズン 16,820 18,021 08シーズン 21,618 27,176 09シーズン 19,178 27,227 10シーズン 17,877 26,197 11シーズン 15,428 21,729 (07シーズンのみ、18,000席収容(当時)のキャララ・スタジアムでホーム開催) ゴールドコースト・ユナイテッド(サッカー)観客動員数 年間平均 シーズン最多動員 09/10シーズン 5,392 10,024 10/11シーズン 3,434 14,783(入場無料) 11/12シーズン 3,486 6,927 (11/12シーズンは12年3月12日現在) こうしてみると、ゴールドコースト・ユナイテッドが地域市場を魅了するコンテンツには成り得ていなかったことが浮かび上がる。10/11シーズンの14,783人は、同年の洪水で打撃を受けたクイーンズランド州の復興チャリティマッチとして、パーマー氏の計らいで入場料は免除されていた。シーズン中の公式戦であるにもかかわらずである。ちなみに、この試合を除いた最多動員は開幕戦の6,394人で、その後は減少の一方をたどり、1,600人台まで落ちた。 その大きな要因となったのは、2010年8月18日、つまり上記の開幕戦直後のパーマー氏の観客キャップ(Crowd Cap)方針である。開幕戦の動員数に不満を感じたパーマー氏は、ホーム2戦目から本拠地スキルド・パーク・スタジアムの観客数を自ら5,000人に限定することで1試合につき$100,000(本日のレートで約820万円)の開催費削減を実行した。すでに前年度シーズンで試験的に実施し、サポーターたちには批判されたものの、財務的に有効であると判断したGCU経営陣は、「観客数が戻ればすぐにでも解除する」とまるで試合を観に来ない観客のせいでやらざるをえない、とでもいわんばかりの態度で対応した。 そして、観客が増加して5,000人に近づけばこのキャップを取り除き、徐々に受け入れる人数を増やすことも 明言した。チケットの絶対販売数が減れば、プラチナチケット化するとでも考えたのかどうかは定かではないが、このプランは大きな失敗であった。「金がもったいないから大人数には来て欲しくない」という誤解含むメッセージとして伝わり、多くの潜在的来場者が敬遠する羽目になった。 こうしてGCU(ゴールドコースト・ユナイテッド)ブランドは地に落ち、また地域との密着度を深める活動に対しても消極的であったことから、一部の忠誠心溢れるサポーターを除いて、クラブは瞬く間にゴールドコーストの人々の脳裏から忘れられる存在になっていった。27,400人も入る近代的なスタジアムが閑散とした状態では、雰囲気作りもあったものではなく、この点においてはFFAの「大失敗」という批判も的を得ているとしかいえない。 Aリーグは「冗談のようだ」と嘲笑していたパーマー氏のクラブがまさに「冗談のような」存在となり、Aリーグの黒歴史の一部となったのであるから笑うに笑えない。 <続く>
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2012年03月10日
豪サッカー界で一体何が起こっているのか
まずはじめに、3ヶ月にわたり当ブログを更新できずにいたことをお詫びしたく思います。様々な理由が絡み合い、なかなかまとまった時間を手にすることができなかったのですが、最後の記事(昨年12月3日)の直後に ブリスベン・ロアーの無敗記録が途切れ、ショックのあまりに書く気力を失った、ということではありません。 この点だけは強調しておきたいと思います。 現在のブリスベンのサッカーは好きですが、筆者は特にAリーグの1チームのサポというわけではなく、リーグ全体の運営やサッカーという競技がオーストラリアという国やそこに内包される多くの地域に与える影響に ついて、より大きな関心を持っています。 そして、日本でも部分的に報道された、ここ2週間で豪サッカー界が直面した「内なる敵」との熾烈な攻防に ついて、日豪両国の知人や友人から数々の質問を受け、当ブログ上で整理してお応えしていくことが最善と 考えたため、ここに更新させていただくことにします。
FFA(豪サッカー協会)が直面した最悪の2週間 複雑な事情や人間関係を整理するため、時系列でここ数週間を振り返ってみたい。ここで記述する事象は 今回の騒動の当事者であるゴールドコースト・ユナイテッドのパーマー前オーナー、ブレイブルグ前監督、 そしてロウイーFFA会長の発言(公式記者会見、TV番組における発言など)を基にしており、筆者が実際に視聴した口頭での発言を中心に構成している。 2月中旬 - Aリーグ最下位を低迷するゴールドコースト・ユナイテッドFCのオーナーであるクライブ・パーマー会長がミロン・ブレイブルグ監督にチームの主将を交代し、17歳のミッチ・クーパーをリーグデビューで新主将に任命するように指示。ブレイブルグ監督は賛同はしなかったものの、話題づくりの面でも一定の効果があることを認識し、パーマー会長の意向を尊重。Aリーグ史上最年少キャプテンの就任が発表された。 2月15日(水) - デビューで新主将の重責を負ったクーパーが次第に募る不安と緊張を訴え、その重圧を 緩和するためにブレイブルグ監督は記者団に「ミッチ(・クーパー)はコイントスの後にクリスチャン(・リース前 主将)に(何をすればよいか)聞きに行き、クリスチャンはミッチにアドバイスをすることになる。」と話し、結局の ところ実質的なキャプテンシーは前主将のクリスチャン・リースが握っていることを冗談めいた口調で示唆。 2月16日(木) - 前日のブレイブルグ監督のコメントを「会長(オーナー)権限を著しく弱体化させる言動」として解釈したパーマー会長が、ブレイブルグ監督の翌日の試合(対メルボルン・ハート戦)の出場停止を決定。この決定に不服のブレイブルグ監督は即時退団の意向を発表。 2月17日(金) - メルボルン・ハート対ゴールドコースト・ユナイテッド戦で17歳のミッチ・クーパーが主将としてデビュー。リーグ史上最年少キャプテンとなり、同時に初のデビュータント・キャプテンとしても記録される。試合は1-0でホームのハートが勝利。 2月19日(日) - この日付のSunday Mail紙にゴールドコーストのパーマー会長の発言が掲載され、全国規模の波紋を起こす。同記事内でパーマー会長の「(サッカーという)競技は好きじゃない」、また「リーグ制(13人制)ラグビーの方がいい」という発言が取りざたされ、同日午後、FFAがこの発言に対して遺憾の意を表明。特にAリーグについて「冗談のようなもの」と批判したことに対して憤慨。 2月20日(月) - ゴールドコースト・ユナイテッドがブレイブルグ監督の更迭を発表。同日夕方の国営局SBSの生放送サッカー番組「The World Game」に出演したパーマー会長は上記発言に関する真意を言明。「競技自体が嫌いなのではなく、FFAによるサッカーの運営が嫌いなのだ」とその矛先をFFAに向け、数々の批判を繰り広げる。また、その中で「もしFFAが俺からゴールドコースト・ユナイテッドのライセンスを取り上げたら裁判を起こす。俺の会社(鉱物資源大手のQueensland Nickel社)は68回の裁判で68勝無敗だ」とFFAに対する脅迫とも取れる発言をする。 この日を境にパーマー会長の共感者も現れ、FFA批判がサッカー界を揺るがし始める。特に、ネイサン・ティンクラー(ニューカッスル)やトニー・セイジ(パース・グローリー)など他クラブのオーナーでやはり天然資源大手会社会長の経済界の大物が同業者であるパーマー会長への指示を公に表明したことで、サッカー界分裂を 危惧する声も聞かれ始める。 2月21日(火) - 今度は更迭されたブレイブルグ前監督がAリーグの独占放映権を所有するケーブル局FOXTEL内のサッカー番組「Fox Sports FC」に生出演して持論を展開。更迭までのいきさつやパーマー会長との3年間にわたる関係を独自の観点のもと暴露した。 2月25日(土) - ユニフォームの胸スポンサーであるリゾート会社のHyatt Coolum社と係争中のゴールドコーストが、同社のロゴの変わりに「Freedom of Speech(言論の自由)」というスローガンを無断で入れたユニフォームを着てメルボルン・ビクトリーと対戦。ピッチ傍の広告板もすべて同スローガンを使用。FFAは、これをFIFA(およびIFAB)が定める競技規則の第4条(選手のユニフォームに政治的スローガンを表示してはならない)に反するとして激しく批判。独善的な価値基準で暴走するパーマー会長とFFAの間には修復不可能な 亀裂ができる。 2月29日(水) - FFAが公式記者会見を開催し、パーマー会長からゴールドコースト・ユナイテッドFCのクラブライセンスを剥奪、同クラブの残り4節の試合開催に関する運営をFFAに移管したことを発表。パーマー氏はこの発表後、クイーンズランド州高等裁判所にFFAの決定が憲法違反であることを訴える。また、FFAは来期以降のAリーグでは、このライセンスを他の地域(首都キャンベラや西シドニーなど)に発行する可能性についても示唆。昨季のノースクイーンズランド・フューリーに続き、またしてもクイーンズランド州からクラブが一つ 消滅する可能性が高くなる。 3月1日(木) - パーマー会長とゴールドコースト・ユナイテッドCEOのクライブ・メンジックを中心に独立諮問機関「Football Australia(略称=FA)」が発足。代表兼CEOには元Aリーグ会長のアーチー・フレイザー氏を 起用。決定権や懲罰権を欠くものの、FFAの運営に対するご意見番として存在していくことを表明。ただ、以前より議論されていたAリーグと相反する独立リーグの設立に関しては否定。 3月2日(金) - クイーンズランド州高等裁判所がパーマー会長の訴状を棄却。パーマー会長は初の敗訴。同裁判所は同時にゴールドコースト・ユナイテッドの運営移管先をFFAに指定することを全面的に認め、選手やスタッフの給与は保証されることが確定。 FIFAおよびAFCが「正式に承認・認識されている組織はFFAのみ」であることを正式に表明。新組織「FA」の正当性が否定されたかたちになった。ここに数人のクラブオーナーが仕掛けた「独立戦争」が終結。幾多の課題が浮き彫りなりつつもFFAが主導権を保持することに成功した。 比較的穏健なアプローチを続けたパースのセイジ会長とは対照的に、現在もFFAを訴える意向のニューカッスルのティンクラー会長との間には緊張状態が続く。
まず、ことの成り行きを順を追って記述した。すべての事象を書ききれていない感もあるが要点はおさえたつもりだ。次回は、パーマー会長や他のオーナー陣が指摘したFFAに対する批判の妥当性を検証してみる。 <了>
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2011年12月03日
Aリーグ第8節まとめ
Aリーグ第8節 アデレード、またしてもホームで勝てず。ニューカッスル、またしてもアウェーで勝てず アデレード・ユナイテッド 0-0 ニューカッスル・ジェッツ 2011年11月25日(金) ハインマーシュ・スタジアム(アデレード) 観客: 8,403人 共に調子が下がり気味の2チーム。何としてもホームで勝利したいアデレードと、ブリスベン戦の敗北を引きずりたくないニューカッスルであったが、前後半を通して「負けないサッカー」に執着するあまり消極的なアプローチが目立つ。結局シュートチャンスにも恵まれずスコアレス・ドロー。アデレード・サポも明らかに消化不良。
Mハートは健闘も、審判の誤審の前に敗れる セントラルコースト・マリナーズ 3-1 メルボルン・ハート 2011年11月26日(土) ブルータン・スタジアム(ゴスフォード) 観客: 7,242人 復調の兆しが見えるMハートは、完全に復活しつつある昨季2位の強豪セントラルコーストへ遠征。 明らかに自信を取り戻したMハートはアウェーにもかかわらず前半から攻める。支配率、チャンスの両面において試合をコントロールしていたMハートであったが、前半終了間際にふとしたことから失点。今、Aリーグで最も輝いている若手選手の一人、セントラルコーストFWバーニー・イビニ=イセイが左サイドをえぐり角度のないところからシュート。DFもしっかり寄せていたことから放たれたボールはDF陣とGKの間を抜けてゴールラインを 割る。ゴールキックの準備をしようとしたMハートのGKボルトンがボールを用意しようとすると審判は何を思ったのか突然CKを指示。Mハートの抗議も実らずCKとなり、セントラルコーストはこのCKをFWサイモンが豪快に 決めて先制。 不運なかたちで1点ビハインドとなったMハートだが、後半も諦めず攻め続ける。すると78分、右からのFKを 交代で入ったFWババリが頭で合わせ同点に。試合を振り出しに戻した、と思われた。 しかし、直後の81分、セントラルコーストが放り込んだロングボールをMハートのDFが見事な胸トラップで処理すると、突然審判が試合を止める。ハンドと判定され、セントラルコーストにPKが与えられる。激しく抗議する Mハートの選手たちを尻目に自分の正当性を淡々と述べる審判。直後に映し出されたリプレイでは、ハンドなど勿論なく、きれいな胸トラップでハイボールを処理するMハートDFの姿があった。 このPKをFWマクブリーンが決め、再びセントラルコーストがリード。ロスタイムにもCKからDFズヴァーンズヴィックが決めゲームセット。試合の内容を全く反映しないスコアラインとなった。
ブリスベン、競技を問わず最長無敗記録を樹立!! ブリスベン・ロアー 4-0 パース・グローリー 2011年11月26日(土) サンコープ・スタジアム(ブリスベン) 観客: 19,339人 オーストラリアのサッカー史に残るチームとなりつつあるブリスベンがまた新たな大記録を打ち立てた。この夜、旧時代の盟主であったパース・グローリーを破り、連続無敗記録を36試合とし、実に74年間もの間保持されてきたリーグ制(13人制)ラグビーのイースタン・サバーブス・ルースターズ(現シドニー・ルースターズ)の 大記録(35試合連続無敗)を打ち破った。記録されているオーストラリアのスポーツ史上最長無敗記録がここに新たに樹立されることとなった。 前節、鬼門のニューカッスルをアウェーで倒したことから自信に満ち溢れるプレーを序盤から披露したブリスベンは前半23分、エリア中央外でボールを受けたMFエンリケが裏を走るドイツ人MFブロイシュに絶妙なヒールパス。エリアに侵入したブロイシュがファーポストに早いクロスを入れると、中央からファーサイドに流れていたアルバニア代表FWベリシャが流し込み先制。 33分にはやはりブロイシュがオフサイドラインの裏を駆け抜けたカナダ代表MF中島ファランに浮き球のパス。中島は間合いを詰めてくるGKの上を抜けるチップシュートを決めて2-0。さらに41分にも中島は中央で受けて今度はGKの足の上を抜けるチップシュートを決め3-0。攻撃の手を緩めないブリスベンは前半終了直前にもMFエンリケがエリアに侵入したベリシャにショートパス。ベリシャがこれを豪快に決めて前半だけで試合を決めた。
ウェリントンが久々の勝利。シドニーは初の連敗 ウェリントン・フェニックス 2-1 シドニーFC 2011年11月27日(日) ウェストパック・スタジアム(ウェリントン) 観客: 6,308人 このところホームでの勝利が遠ざかっていたウェリントンが終始シドニーを圧倒した。エースストライカーのポール・アイフィルが怪我から復帰したウェリントンは前半7分、早速そのアイフィルが決めて波に乗ると、後半14分にはMFブラウンがハーフウェイ付近でボールを奪うと強烈なドライブシュートでシドニーGKレディの頭上を破り2-0とした。 対するシドニーも自慢のスタミナで後半に終盤に勝負をかけてくるが、後半25分のFWカザリネの1点を返すにとどまり今季初の連敗を喫した。
壮絶な乱打戦はMビクトリーに軍配 メルボルン・ビクトリー 3-2 ゴールドコースト・ユナイテッド 2011年11月27日(日) AAMIパーク(メルボルン) 観客: 16,522人 よりコンパクトな球技専用スタジアムのAAMIパークに移動したMビクトリーと最下位脱出を図るゴールドコーストの一戦は3本のPKを含む壮絶な乱打戦の様相を呈した。 開始早々にMビクトリーは好調のFWトンプソンがエリアに侵入すると、ゴールドコーストDFベークマンズが たまらずファウルでPK献上。キューウェルがこれを決めて先制する。前半22分にもMビクトリーは若手MFロハスが左サイドからシュートを放つが、これを止めようとしたMFサリーがやはりファウルで止めてしまい再びPKをゲット。今度はMFエルナンデスが豪快に決めて2-0とした。これでリズムに乗るかと思われたMビクトリーであったが32分にDFヴァルガスが必要のない危険なタックルで一発退場。せっかく得たアドバンテージを早くも 手放した。 これで攻撃のイニシアチブを取り戻したゴールドコーストがメルボルンゴールに襲い掛かると、前半ロスタイムにはFWメブラフトゥがエリアに突進。たまらずにMビクトリーDFフェレイラが足を出してしまい、今度はゴールドコーストがPKを獲得。FWマカリスターが落ち着いて決めて1-2とした。 後半に入ると1人多いゴールドコーストが主導権を握り攻め続け、開始早々の後半2分、右サイドからのクロスをMFユングシュラーゲルが合わせて同点に追いつく。さらに勝ち越しを狙い好機を作り続けたゴールドコーストだが、なかなか得点が入らない。 すると後半34分、カウンターからつないだMビクトリーは左サイドにMFセレスキが走りこみ、ファーサイドに アーリークロス。中央から流れていたMFエルナンデスが頭で押し込み、1人少ない劣勢をひっくり返した。 ゴールドコーストは攻撃参加に人数を割いていたため、守備が薄くなっていた瞬間を突かれた格好となった。
<了>
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2011年12月03日
Aリーグ第7節まとめ
Aリーグ第7節 Mハートが連勝。ゴールドコーストはクラブ史上初の3連敗 ゴールドコースト・ユナイテッド 1-2 メルボルン・ハート 2011年11月18日(金) スキルド・パーク(ゴールドコースト) 観客: 4,031人 つなぐサッカーを標榜しつつも順位表の上ではパッとしない2チームの対戦は、開始早々4分にMハートが ゴールを決める。エリア左サイドでパスを受けたMFトンプソンが左足を一蹴。これがゴール右隅に決まりハートが先制。 その後も試合を支配したのはアウェーのハートであったが、後半18分ゴールドコーストはエリア中央左寄りで得たFKをMFユングシュラーデルが低い弾道で決めて同点に。だが、ゲームの流れを引き寄せるかと思われた直後にハートは好調のMFトンプソンが今度は中央に浮き球を送ると走り込んでいたアルゼンチンMFゲルマノがGKの頭上をチップで抜いて再び引き離す。 結局、このゴールが決勝点となりMハートが連勝した。
オークランドでの記念すべき一戦はドロー ウェリントン・フェニックス 1-1 アデレード・ユナイテッド 2011年11月19日(土) エデン・パーク(オークランド) 観客: 20,078人 舞台をニュージーランド最大の都市オークランドに移した一戦は、スポーツ好きのオークランド市民の応援も あり、20,078人が来場した。 ゲームが動いたのは前半終了間際の44分。中央からの浮き球のパスに代表FWジテが反応し、ウェリントンGKワーナーと接触しながらも右足で押し込み先制。 守備に重点を置いたアデレードがこのまま逃げ切るかと思われた後半40分、攻めるウェリントンの右からの クロスをアデレードDFボーガードがマイナス方向にクリアにしようと頭を出し、これがオウンゴールとなり引き分け。将来的にオークランドにもチームができるのでは、と期待が持てる雰囲気であったがウェリントンはまたしてもホームで勝ちきれなかった。
ブリスベンが鬼門ニューカッスルを撃破し、無敗記録を35戦に! ニューカッスル・ジェッツ 1-2 ブリスベン・ロアー 2011年11月19日(土) オーズグリッド・スタジアム(ニューカッスル) 観客: 13,174人 34戦無敗の記録更新中のブリスベンは、その記録の中で唯一勝利していない鬼門ニューカッスルと対戦。 開始直後こそブリスベンがチャンスを作るも決めきれずにいると、徐々に試合はニューカッスルのペースに。 猛暑のため、前半途中に水分補給の中断が入るもニューカッスルの攻撃は止まらない。このまま拮抗してハーフタイムに入りそうな気配が漂い始めた前半45分、ニューカッスルMFウィールハウスの絶妙なスルーパスを飛び出したFWグリフィスがしっかり決め、ニューカッスルが先制。 またしても鬼門でつまづくのか、とブリスベンのサポーターたちは感じたかもしれないが、今季のブリスベンは劣勢を跳ね返す力を持っている。後半11分、右からのMF中島ファランのアーリークロスをMFエンリケが押し込みまず同点に。そしてニューカッスルの足が止まった終盤の後半38分にはショートコーナーをつなげると最後は交代で入ってきたFWマイヤーが豪快に決め逆転に成功。無敗記録を35戦に伸ばした。
ゲームをコントロールしたセントラルコーストが勝利。シドニーは連勝が止まる シドニーFC 2-3 セントラルコースト・マリナーズ 2011年11月19日(土) シドニー・フットボール・スタジアム(シドニー) 観客: 13,947人 好調の2チームの対戦は、前半からシュートの応酬で観客を盛り上げる。素早いパス回しでゴールに迫るシドニーは前半8分、中央でパスを受けたFWブリッジがGKと1対1に。しかしこの絶好機をゴール上に打ち上げてしまうと、徐々に勢いを失くしていく。ハーフタイム目前の40分には逆にセントラルコーストが良い位置でFKを 獲得。これをDFズヴァーンズヴィックが豪快に突き刺しセントラルコーストがリード。 後半に入るとシドニーもポゼッションで上回るようになるが、得意のカウンターが冴えるセントラルコーストは 後半11分、速攻でボールをシドニーの右サイドに送ると低いクロスをニュージーランド人MFマクグリンチーがGKのニアポストに決め2-0に。 後がないシドニーも後半22分、中央へのスルーパスにブリッジが反応し、シュートを打つもこれはGKパスフィールドがセーブ。しかしこぼれ球を詰めていたMFカールが頭で押し込み1点差に。勢いが出始めたように 見えたのもつかの間、その5分後に再びカウンターを食らうと、MFサイモンにDF陣がついてゆけず、折り返しを DFヘアフィールドに決められ3-1。 後半43分にはMFエマートンがFKを直接決めてAリーグ初ゴールを記録するも反撃はそこまで。ディフェンスの甘さを露呈した。
絶対優位のMビクトリーが終盤の失点でまさかのドロー。 メルボルン・ビクトリー 2-2 パース・グローリー 2011年11月20日(日) エティハド・スタジアム(シドニー) 観客: 18,404人 徐々に復調の兆しのあるMビクトリーは鋭い縦への攻撃でパースの守備陣を揺さぶる。すると前半36分、MFエルナンデスのスルーパスに反応したFWトンプソンをパースMFミラーがファウルで止めてしまい、一発退場。残り1時間近くを10人で戦うことに。 前半は何とか凌いだパースであったが、後半8分、またもやエルナンデスのロングボールがトンプソンに渡ると、今度はDFファン・デン・ブリンクがエリア内でトンプソンを倒したと判定されPK。スルーモーションで見るとファン・デン・ブリンクは明らかにボールに触っており、素晴らしいタックルであったが審判の誤審でMビクトリーは好機を得る。ファン・デン・ブリンクにカードは出されなかったものの、このPKをエルナンデスが確実に決めてMビクトリーが先制。さらにその5分後、今度はCKからのこぼれ球をFWオルソップが決めて2-0。早くも雌雄決したかに見えたが、ここからパースの反撃が始まる。 後半26分、Mビクトリーのエリア外で得たFKを交代で入ったMFアンドレジーニョが左足で見事に決めて1-2。 さらに後半41分、一人少ないながらも左サイドに展開したパースは完璧なクロスをFWスメルツが頭で決めて同点に。歓喜するパースの選手を横目に、落ち込むMビクトリーの姿が印象的であった。
<了>
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